土曜日

180428

11/10

HIROSHIMA LOVERSのメンバーが3人と思い込みをしていた。
もう1人のメンバーを迎えに行っていた。最後にベースを乗せて出発。
ちょっと気になったのが、車が止まるたびにHIROSHIMA LOVERSの
メンバーは、たばこを吸う。ヘビースモーカーだった。

高速に乗ってしばしまっすぐ走る。
全く、英語がダメなおれなのに、フレンドリーに話かけてくれる。
後部座席に自分はいて、ポールが基本的に話をしてくれるのだが
やたら日本のアニメやら映画やらに詳しく、質問が多い笑

高速道路は、日本とほぼ変わらず。日本車が走りまくっているので
違和感もなし。途中、途中で強烈なスコールにあったり、
天然ゴムやヤシのプランテーションが、ずっと続く風景。
旧日本軍が立てこもった、跡地もあった。

途中、サービスエリアで食事をするということで、休憩。
サービスエリアもさほど変わりがなかったが、飯がとにかく安かった。
そして、やっと本場のマレーシア料理を体験した。

ナシゴレンのバリエーションが多く、麺のナシミーもあり
文字が読めずどう注文していいか分からずHIROSHIMA LOVERSの
メンバーが注文しているメニューを真似した。

これが、うまかった。衝撃的だった。
そして、蠅も多かった。数日経過すると蠅がとまっていても気にならなくなったけど。

しばらく高速を走り、ペナン州クリムへ到着。
先にホテルにチェックインするということでホテルへ向かう。
なんだか、すごくゆっくり動いているので、「大丈夫なのか」と聞くと
「マレーシア時間だから大丈夫」と謎の返しがきた。

ホテルは、とんでもなく綺麗で、3人部屋。まだ、時間があるということで
少し休憩をして、HIROSHIMA LOVERSのメンバーと飯を食う。
さっき食わなかったっけ?と思いながら、とりあえず飯食おうと言われ
みんなでまた、ナシゴレンを食べる。これが、またうまい。
どうやら、土地土地によって、味が違うらしい。

飯を食べ、夕日を見ながらテラスでまったりしながら
ライブ会場へ向かったのが20時ごろ・・・

行く途中に3-4人乗りの原付をたくさん見かける。
途中の風景もなんだか、四国っぽさを感じてきて親近感がわいてきた。

会場へ到着。薄暗い商店の並びの二階にあるスタジオが本日の会場だった。
なんだか、スクワットっぽい雰囲気もあり、誰かが住み着いていそうな様子だった。
因みに、土足厳禁だった。なんだか、三重の伊勢にあったアジトみたいな場所だ。
むろん、クーラーがない・・・むし暑い・・・

現地の人で、英語を話せる人がどうやら少ないらしく、簡単な会話も通じない。
スタジオの前になぜか、露店があり、そこでコピオー(コーヒー)を頼む。
マレーシアの飲み物は、砂糖が必ず入っており、露店で買うとビニール袋で渡される。
ビニール袋に飲み物を入れると、意外と効率良いことに気づかされた。

「砂糖を抜いてくれ」と頼んだら、「馬鹿野郎」という目で見られて
結局、砂糖を入れられる。これが、全然おいしくない泣

本日、対バンのバンドメンバーから、謎の飲み物をもらう。
どうやら、何かハイになるものが入っているようで、飲んだ後に教えやがった。

暑いので、ビール飲みたいなとか思っていても、イスラム圏の国であり
田舎町なので、ビールは売っていない・・・

そうしていたら、前日にお世話になったマヤンさんがなぜか現れる。
ビールの差し入れを持ってきてくれた。しかも、アサヒ笑
アサヒのビールは、マレーシアでは、高いので、びっくりした。

スタジオ前で、ぶらぶらしていたら、ライブが始まった。

続く








金曜日

180427

11/10

起床して、ツアーラストまでクアラルンプールを離れるため
マヤンさんの自宅に不要な荷物を置いてツアーへ出る準備をする。

ベースは、持って行っておらずマヤンさん宅にあった
謎のYAMAHAのベースを借りる。シールドや、ツアーの為に借りた
サンズアンプはあるので、問題はなかった。弦も張り替えた。
ケースが真っ白だったのが気になったけど・・・

タクシーで、今回一緒にツアーをするHIROSHIMA LOVERSという
バンドと集合する場所へ向かう。

HIROSHIMA LOVERSという名前が気になりすぎ
事前にBandcampでチェックしていたが、イーストベイタイプの
Fat rec直系のサウンドだった。ほんとに広島好き?!

タクシー代がよく分からないけど、マヤンさんがおごってくれたっぽい。

集合場所に早めに到着して、マヤンさんと別れ、時間があったので
朝食をレストランでとる。到着して初めて現地のナシゴレンを食す。

出てきたナシゴレンは、日本でもありそうなナシゴレンで
初めてだったから、テンションは上がったが、後々これが
普通でないことを理解する・・・意外と日本語が店員さんに
通じていたことが、観光地たるゆえんか・・・

食事を終え、日本にもありそうな、ショッピングモールの前で
待っていると、ライトエースみたいな車が目の前にとまって
いかにもマレー人のようないでたちの男が3人。

一人はタトゥーだらけ、一人はパンク好きそうな人、一人は
私の近所にいるスター極楽さんみたいなファッションのロン毛。

やっとツアーが始まった。ポールの流暢な英語により問題なく出発。

向かうはツアー初日のペナン州クリム。てっきりペナン島へ
行けると思っていたけど、ペナン島から大きく外れた場所でした。

続く




木曜日

180426

11/8

飛行機でまずは台湾へ。トランジットの為、台湾の空港に夜中到着。
早朝まで待たなければならない。トランジットをした事がなく
あまくみていた・・・台湾は、11月というのにやや蒸し暑く
空港内は、クーラーがガンガンきいている。
夜中に到着した為、空港の外にも出れず
ソファーがあったので仮眠することに。

ここがなかなか落ち着けず、結局寝れず。

11/9

早朝、空港内で朝飯を食べ、クアラルンプール行きの飛行機へ乗り換え。
ここからまた5時間程飛行機。何気に生まれて初めての機内食を食べる。
機内食がうまかった。

空港へ到着。英語圏やイスラム圏であることの
他あまり日本と変わりなく、クアラルンプール行きの電車へ。

ポールがいるので、言語については、相当に助けてもらった。
クアラルンプールの福岡でいうところの清川みたいなエリアの駅に
ポールの友人であるマヤンさんが待っていた。
マヤンさんがきっかけで、THE MSGSのマレーシアツアーは実現した。

くたくたの我々は、超広いマヤンさんのマンションへ。
天井に扇風機、玄関がなく大理石のフロア。すげーと思ってましたが
マレーシアの家は、結構こんな家が多かった。

ポールとマヤンさんが英語でベラベラとしゃべっている中
しばしの休息。

ベランダから一望したクアラルンプールの景色は
巨大な都会だった。

夕方、マヤンさんが友人を呼んでパーティーするということなので
我々も同行。タクシーに乗り込み向かったが、渋滞が半端ではなく
おそらく2-3キロの距離を、2時間かけて到着。疲労がすごかった笑

巨大なチャイニーズレストランに着き、マヤンさんの友人達と
なぜか食事会。英語が早すぎて分からず・・・
後で気がついたが、日本だったら相当高級な中華料理店に来ており
そこのプライベートルームだった笑

マヤンさんもそうだけど、友人の人達も一流企業というか裕福というか
中国系、マレー系、インド系、アラブ系、ヨーロッパ系様々な人種の
人達だったが、パンクロックには全く興味がなく、日本の
有名ミュージシャンが、好きとのことだった。破れかぶれの
カラオケに参加し、帰宅。ポールは相当テンションが上がって夜な夜な
喋っていたが、クタクタだったのですぐに寝た。

外は暑かったが、室内は寒いぐらいのクーラーと扇風機で
逆に寝付けなかった。あと、夜な夜なコーランのような声が聞こえて
「ああ、おれどこにいるんだろ」と思った。

「ところで、ライブしにきたんじゃなかったっけ?」

まだ、日本から持ち込んだビニール傘を持っているが
スコール中は、建物か乗り物の中にいて全く活躍せず。

ちなみに、街中でも傘持っているのおれだけじゃ・・・

続く







水曜日

180425

2016年からの生活変化がめまぐるしすぎて、30代後半を痛感してますが
1年半前のTHE MSGSマレーシアツアー日誌を記載しようかと。
日々のアルコール摂取で記憶が遠くなっている・・・

ここも開設して10年も経過してます。
住んでいる家も変わり、10年で生活環境も変わりましたが
なんか全然変わってない事も多いです。
6年程前の交通事故で頭打ってから、緩やかになりました。

2016年の2月ごろ、仕事が少なくて、snarekillsnationの活動に
集中したかった私でしたが、人数も多く特殊なメンバーだったので
自分が思う活動が出来おらず、ライブの本数を絞るというのが
バンド内で話し合った結果でした。

元々、メンバーがそれぞれ他の活動もしていることもあり、
自分も何か他の事をせねばと思ってました。

何かのライブへ行って、道端を歩いている時に、THE MSGSのポールに
会って色々話していると、マレーシアツアーが決まったが、ベーシストが
無理かもしれないという話でした。

ベースなんかろくに弾けない癖に、過去2バンドで弾いたことがある私は
「マレーシアツアーだけ手伝おうか」と伝えたところ、OKが出たのが
THE MSGSに加入するきっかけでした。英語全然ダメな私ですが・・・

それから何カ月か経過し、暇だったはずの仕事が4月から急変し
どんどん職位が上がって、とんでもなく時間もなくなり混乱する中で
9月のライブから、私がTHE MSGSのライブデビューをして、そのまま
マレーシアツアーへ行くことになりました。

7月ごろからベースの練習を始めましたが、10年ぐらい変拍子の
バンドばかりやっていたせいか、シンプルなTHE MSGSの曲が
全く覚えれませんでした・・・

8月になりスタジオに入るも、なかなか覚えれず。
同時に仕事がカオスになり、毎日日付が変わる時間帯に帰宅。

9月になり、やばいと思いなんとか曲を覚えました。
福岡でデビューライブを行い、北九州で1本。(だったかな?)

11月にマレーシアへ渡航でした。
平衡してsnarekillsnationのライブも行っており
仕事も気が狂う程、忙しく午前1時のスタジオに遅刻するほどでした。

でも、マレーシアツアーの為に、一週間仕事を休みました。
帰ってきたあとは、法廷労働時間オーバーが4ヶ月続きましたけど・・・

11/10から11/13までのマレーシアツアーへ渡航した訳です。

雨の降る福岡空港、ビニ傘を持ちこむのはおれだけ。

(続く)