火曜日

140311

今日は、東北の震災から3年ですね。世紀の災害と言っていい。福岡に住んでいるとリアリティがあまりなかったのですが、ベネフィットの作品つくったりして東北ライブハウス大作戦に協力したけど、東北の人々の糧になっただろうか。3年前に地震が起きた時は、福岡市民になるべく手続きしていた。あとは、春先から失業することが決まっていたので、仕事の引き継ぎ。バンドは、ベーシストが抜けるため最後のライブを控えていたぐらい。あれから3年間小さなトラブル続きで、なんだか前へ進んだ気がしない。

先週、またもや体調不良に陥り、数日はフラフラだった。流石に病院へ検査行かなければと思うも症状が回復すると行くのが面倒になる。今週は、ライブです。久しぶりにまた春先から予定が白紙。去年、そうするつもりだったけど、なんだかんだで色々なバンドでライブしていた。今回は、音源をできればつくってみたいので、しばし時間が欲しいのとライブを頻繁にやるようなバンドをしていないので、スタジオ時間をより増やしたり、個人的に何か他のことに挑戦するつもり。全国ぶらりも含めて。

TimeMarketでレーベル特集にてimomushi recordsについてのインタビューがあったのですが、勘違いで福岡のレーベル特集だったため、長文で返答したところ実は簡潔な文章でよかったため、非常に読みずらいインタビューになってしまったので、目がいたくなるかもですが、ここに貼り付けしておきます。おれが熱くこたえすぎました…

imomushi records stuff
HIROYUKI "YUTAKA" MAEDA(SHYBOY, BUTCH, ex-strange over the sun)
TAKAYUKI "GIVEGIVE"(snarekillsnation, SNAREKILLS, ex-strange over the sun)

●設立のきっかけ

Y:「ファーストリリースは7インチレコードだよね!!」と、北九州で活動をしていたhigh-hopes(1000taravels of Jawaharlalの前身バンド)の下田さんと意気投合して、共同でリリースことになりました。お互いに、当時アメリカのインディーレーベルや、そこからリリースするバンドにも影響を受けてて、D.I.Y精神での活動中心でしたので“家みたいなレーベル”を作ろうというコンセプトでスタートしました。名前は「やがては蝶になる」といった意味が込められてます。“CDを出す”というのは“メジャーデビュー”という事になりがちな時代から、自主制作でのリリースが増えてきた時代でした。メジャーへの憧れもないし、出してくれそうなレーベルも見つからないので、「じゃあ自分達の手で」といった流れでした。音楽を演奏する人が聴いてくれる人に、自分達の音を自らの手から手へ渡っていくことにこだわりを意識して活動を始めました。あくまでレコード会社ではなく、“協同組合”です。なければ出し合い、あがれば平等に分配し、必要以上の値段をつけないのスタンスでボチボチやってきてます。

T:設立のきっかけは知らないので、個人的な視点からエピソードを伝えます。設立が決まった時期は、1999年。僕は、高校生か高校卒業間近だったので、詳しい経緯は知りませんが、high-hopes/BUTCHのSPLIT 7inch(現在も絶賛発売中)がリリースされたので普通に買いました。グラインドサアフのTEARSと2枚を交互にレコード針を落としていた記憶があります。僕は、imomushi recordsを外からみていたので、当時思っていたイメージは、自分達で活動コントロールし、レーベルに関与するメンバーが在籍するバンドのリリース、複数人数で意見を合わせて運営といったイメージを持ったレーベルでした。同時にディストロ(ライブ会場での小さなレコ屋)や缶バッチ制作、県外や海外バンドの招聘並びにライブ企画等を精力的に行っていたので、たまげたことをするレーベルであると思っていました。BUTCHがクラブスペースで企画を始めたり、1000travels of Jawaharlalが北九州で公共施設やスタジオ、機材のないクラブスペースでライブ活動を始めて、音源のリリースも自分達で行うスタイルになったと思います。僕も必然的に影響を受けました。そして、BUTCHと1000travels of Jawaharlalのリリースが共に進んでいく中、1000travels of JawaharlalがチェコのレーベルであるDAY AFTERとimomushi recordsの共同リリースで数千枚のCDと12inchをリリースしました。当時、全国的に知名度が高まっていた1000travels of Jawaharlalでしたので、活動スタイルなんかも全国へ波及したと思います。そのおかげでimomushi recordsの名前も知れ渡りました。しかし、福岡では知れ渡らなかったと記憶しています。そのことは、良くも悪くも福岡の特徴であると思います。僕がBUTCHや1000travels of Jawaharlalのツアーの手伝いで同行したり、当時自分が在籍していたstrange over the sunのライブで県外へ行った時、必ずimomushi recordsの話は出ていました。すごいことになってんなと当時は思っていました。(2001-2003年ごろ)いつしか自分が在籍していたstrange over the sunのアルバムがリリースされました。リリースに関しては、全てユタカ君まかせだったので、どうしていたかほとんど知りませんでした。後にその大変さについては、自らも体験することとなります。しばらくして、レーベル発足当初からリリースの中心であったBUTCHと1000travels of Jawaharlalの活動が止まり、strange over the sunも解散しました。imomushi recordsもその後変革期に進みます。そんな時期にimomushi recordsは、次なるリリースへ進みました。北九州で当時、1000travels of Jawaharlalの影響を受けた4hou8pouのアルバムをリリースをしました。4hou8pouはリリース後すぐに活動が止まってしまうのですが、新たな試みでした。(もちろんアルバム発売中!)ユタカ君は、SHYBOYの活動を始め、リリースフォーマットをアナログのみのリリースを続ける方向へ進みます。SHYBOYのリリースと平衡して、LULLABYEの7inch、PEAR OF THE WESTのディスコグラフィCD、THE CRUMPのアルバム…福岡で活動するバンドのリリースが中心になっていきました。更にディストロ、バッチ制作、フリーペーパー制作も継続して行っていました。今にして思うとモチベーションすごいなと思います。その当時ぐらいから少しづつ手伝いをするようになり、今に至ります。設立当時からもしかすると研修が始まっていたかもしれません…地元に密着するレーベルにはなったのですが更に異色のリリースします。東京で活動するthreadyarnとMIDDLEのSPLIT 7inchです。福岡で活動していないバンドがリリースされるのは、個人的にとてもびっくりしました。元々福岡で活動していたthreadyarnの押しが強かったようで(笑)その後、threadyarnはアルバムまでリリースします。元々共同運営の色が強いimomushi recordsでしたから、県外の支部を初めてつくりました。そのためthreadyarnのシマ氏は、imomushi records東京支部・デカ長に任命。時が流れSHYBOYも活動が止まってしまい、レーベルリリースもしばらく止まるかと思いきや、止まることを知らないユタカ君は、自分が在籍してたSNAREKILLSとEEVEEリリースを決まってました。やはり、根底には福岡のバンドをリリースする基本的なスタンスは変わりません。EEVEEは、活動がストップ気味だったので、リリースまでに時間がかかりましたが、(その後ミミレミミでのリリース)SNAREKILLSは、リリースされました。その頃は、出荷等も手伝うようになり、自分のバンドのリリースは、自分で行うといった状況になりました。このレーベルでは、自分達で全て行わなければなりません。カッコ良さそうに聞こえますが、内職が主です。つまりは、内職スキルが問われるのです…おれは、不器用なので、梱包が汚いです…正直、自分のバンドをリリースした時が一番大変でした。自分の生活状況やバンドの状況もベストではなかったし、非常に大変だったイメージが残ってます。ユタカ君は、すごいなと思いました。思ったよりSNAREKILLSの7インチは、売れてないのでよければ購入してください!あまりレーベル運営に関わっていることを皆様は知りません。チラシ配り、WEB更新、メール送信、出荷、在庫管理が主な業務です。本当に地味な活動だと思います。地味に続けることが美徳ですかね…リリースが落ち着いたあとの一杯は、非常においしいです。15年も経過すると僕もお酒を呑むようになってますね…15年前は18歳だったんすけどねー!

●活動のベースとしている土地がレーベルに与える影響

Y:以前は、ミーハーな土地柄が逆にマニアックさを助長させてました。最近は文化創造性の低さにどんどん投げかけていきたいと考えてます。ジャンルの壁を超えた仲間意識の高さは、今後とも影響を与えていくと思ってます。

T:レーベルの運営に関して福岡が持つ空気や風景の影響は考えつかないです。しいて言うなら祭り気質なところかな?リリースしているバンド全てがにぎやかなサウンドの音源ですね。

●レーベルのポリシー


Y:バンド本位であること。リリースのお手伝い役。D.I.T(Do It Together)はずっと変わらないポリシーです。リリースに伴うライブツアー、そして会場での手売りも出来るだけサポートしてます。アナログレコードのリリースはその良さを単純に伝えたいのと、残したいものでもあります。時代には反してますが、ずっとPUNK・HARD COREが好きですし。そもそも、ジャケットを手にとって針を落とす時の感情ってたまんないんですよね~。

T:自分達で活動をコントロールするがポリシーじゃないかと思っていました。dischord recordsやTouch and Go、Merge Records、K-Records、Ebullition Records等のレーベルを手本していると思います。ユタカ君がD.I.T(Do It Together)がポリシーと答えているのですが、どうやら僕は、大事なことを忘れていたようです。今年は、Do It Together!

●運営していく上での楽しみ・苦しみ

Y:音源が出来て最初に聴けるってのは至福の極みです。ブラジルやギリシャなどの国からオーダーが来たり、行ったこともない青森でディストロをしてくれる人がいたり、つながりが面白いです。楽しみでも苦しみでもありますが、音源をリリースすることでバンドにどう影響が及ぶかです。もちろんバンドが波に乗って活動盛んになり、音もライブもかっこよかった時には、しびれてより酔っ払います!長くやってると運営に関わる人も変わってきました。苦しい時期もありましたが、今は若大将!?タカユキとでいい調子でやってます。

T:個人的にはバンドの活動に集中したいので、その時間を削ったり、自分が在籍しているバンドが売れなかった時は苦しいです。リリースしたバンドがすぐに解散や活動休止も苦しいです。逆にリリース音源が売れたら楽しいし、リリースバンドが積極的に活動するとうれしいです。レーベル頑張ってくださいねと言われたことがないので言われてみたいです!若大将と言うほど若くないので、いい役職ネーミングをどなたかお願いします。現在、会長、若大将、秘書、デカ長、役員数名…若大将は、浮いてませんか(笑)

●今後の活動予定

T:PEAR OF THE WESTがリリース予定。しばらくは、音源のリリースのみ行います。個人的にやりたいことは、ネット配信。賛成されるかは不明。気がつけば、設立から15年。2/9にimomushi recordsの周年ライブが終わったので、個人的に解散や活動停止しているバンドの一夜限りの復活ライブをやりたいな思います。過去のバンドを知らない人のほうが多いと思いますが、音源がまだあるバンドは、ライブしないと興味を持つことが難しいと思うから、頻繁ではなくてもよいので、年1回ぐらいはライブしてほしいです。自分にも言えることですが…もしこのインタビューをみてライブしたくなった方がいればドラマティック。

Y:マイペースながらにも今後は新しい試みにも挑戦していきたいと考えてます。具体的にはタカユキが言ってることに加え、社会活動や身近なライブ企画など。。。あと、これをみて興味がある人で、ディストロや、何かやってみたい、参加してみたい人、連絡ください。

0 件のコメント: