月曜日

140203

1995-1996 15歳ぐらいの1年は散々な記憶しかない。高校へ進学すると世界が変わった。自分の地元がいかに田舎だということと面白い人が周りにいなかったんだと痛感させられた。高校1年の時に何を血迷ったかソフトテニス部に入った。理由は、自由で先輩との上下関係が薄く更にバンドをしている先輩が多かった。その縁で先輩のバンドでギターを弾くことになった。(パワーコードしか弾けない)おかげでスタジオのコニュニケーションなんかが非常に勉強になった記憶がある。カバーは、オアシスだったけど(笑)記憶があいまいだけど、平衡して多分、メロコアのコピーバンドを始めたのもこの時期、高2になっていたかな。同じクラスに学年1ギターがうまいと言われたやつが後ろの席にいた。彼は、授業中寝てるし普段の動きもとろく、ビュジュアル系好きの天パでメガネ、ガリガリと外見からとてもギターが弾けるとは思えなかったが、ちょうど帰る方向が一緒で仲良くなり、何かのきっかけでギターを弾いている場面をみた。驚愕した…今まで身近にみたギター弾きで断トツうまかったし、なんせアコギもエレキも関係なくうまい。聴くと小学生のころからギターだけを弾いて育ったとか。自信喪失したと同時にとにかく盗めるところは盗もうと思った。ライブもすでに中学生のころからしており、宅録の知識もすぐれていたためデモテープをつくっていた。デモテープをもらって家で聴くとなんと1曲目の曲名は、「畜生」(笑)サウンドは、初期Xからの影響が強かったので、ハードコアメタルの要素を含んだサウンドで、ボーカルは、ドスが聴いていたり、ビジュアル系だった今にして思えば面白かった。彼はこの10年後にSNAREKILLSでベーシストになるバブル氏。当時 からギターがずば抜けてうまかった。でも、変な人だった(笑)仲良くなって仲良く坊主頭にしてました。おれのとばっちりで停学にもなって当時から迷惑かけてばかりだったな… このころに平衡してメロコアのコピーバンドをエクスプロージョンズのベースと始めた。まあ、おれのギターサウンドは、全部フルテンだったので、シャーシャー鳴らしてたけど。ライブがしたくてしょうがなかったので、当時中学の同級生とバンドを組んでライブをしていたバブル氏にライブハウスのブッキングを頼んだら。すぐにOKがでた。ハートビートの昼間の部だったなあ。おれ、張り切ってモヒカンにしたっけ(笑)なぜか2マンのライブで、客が暴走族と僕らの友達っていう不思議なライブだった。暴走族の皆さまと一緒に集合写真撮った記憶があるけどあの写真だれかもってねえかな。 初ライブが終わり、更にバンドしたくなったおれは、数回のバイトでなんとかギブソンのレスポールを手にいれた。あの時はうれしかったな…今にして思えば若干、楽器店のオヤジにぼったくられたけど(笑)後年、大活躍してくれるレスポールで今は、使ってないけど大事に持ってます。1回、家でネックごとへしおれたりしたけど。 このころは、本当に出会いが多く刺激が強かった。十代のころは、本当に吸収力があったけど、同時にお金もなかった。レコードやCDがようやく定期的に買えるようになるまで時間がかかったし、当時ネットも普及していないから街出るまでのの交通費でレコードやCD買えたよ。都市部の同級生がうらやましかった。だいぶん経って自分の実家に友達が来た時には、こんな田舎に住んでたのかとびっくりされたな。 話がそれたけどその後、上級生を送る会でひんしゅくをかうコピーバンドしたり、定期的にコピーバンドしたり、モンキー乗りまわしたり、朝まで遊んだり普通の高校生活が終わって、偶然受かった大学へ進学。進学志望だしてなかったけど、社会がクラストップだったので、みんな勉強してて暇だったから受けたら受かってしまった。卒業後、オリジナルのバンドしてやると意気込んで高校卒業。唯一の後悔は、女子が多い高校だったのにもう少し色々な女の子にアタックすればよかった。他校の生徒がいる合コンばっか行ってた…

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